日本民謡雑観


2007年10月開催の「第11回定期演奏会」で取り上げている「日本民謡」について、
理解の補足になるかも知れない事柄を紹介しています。

1.そうらん節−北海道民謡
   ・北海道近海のニシン漁で歌われる歌のうち、網からニシンを船にすくい上げるときの
    作業歌をひろく「そうらん節」という。歌詞には多数のパターンがあるが、色町で流行の
    お座敷唄の歌詞がしばしば用いられた。たとえば「沖のかもめ」にも、猟師たちから
    見た女郎衆のイメージが重ねられているようだ。なお、「くき(群来)」はニシンの群が
    押し寄せることである。
   ・「そうらん節」をわざわざ「ソーラン節」と書くのは「ソーラン」が「ソラソラ」という催促の
    掛声だからである。
   ・また一説に、この唄に出て来る色々な掛声は「ヘブライ語」であるとする解説もあるが、
    筆者として確証は持てない。

2.斎太郎節−宮城県民謡
   ・「さいたらぶし]と読むこの民謡は、「遠島甚句(としま)」を後唄とする組唄
    「大漁唄い込み」の中唄であり、この唄自体を「大漁唄い込み」というのは誤りである。
    なお前唄の「ドヤ節」は時代と共に廃れてしまった。
   ・日本三景の一つ「松島」付近で歌われる、猟師たちの力のこもった艪漕唄である。
    掛声の「エンヤーオット」は「エンヤードット」が本来の発声のようである。
   ・また、「斎太郎」という人物が実在したかのように思われるが、逆に「さいたら節」と
    いう唄が「斎太郎」を生み出したと考えるのが正しいようである。

3.最上川舟歌−山形県民謡
   ・この唄のふるさとは、「おしん」で有名な山形県西村山郡大江町左沢(あてらざわ)
    である。
   ・昭和初期に仙台のNHKの依頼で、最上川を下るラジオの企画番組のために、
    後藤岩太郎というアマチュアの民謡歌手と、渡辺国俊という民謡愛好家、それに
    最上川の船頭であった後藤作太郎が、実際に最上川に舟を漕ぎ出して何度も
    上ったり下ったり相談してつくった唄。
   ・ロシア民謡の「ボルガの舟歌」と作太郎が口ずさむ「かけ声」を基にして、この旋律が
    生まれたという。
   ・但し、この合唱曲は正調「最上川舟歌」とは歌詞が随分と違う。「最上川舟歌」保存会
    の理事という方の話だそうですが、この合唱曲の歌詞は、最上川中流の船頭歌
    「最上川船頭歌」なども引用されているらしく、作曲者の清水脩さんは、最上川の
    上流から下流までの最上川の歌を合唱曲として仕上げたもの、ということのようです。
   ・なお、第1節の歌詞で「酒田サ行(え)ぐは(wa)げ・・・」とあるを「酒田サ行ぐさげ・・・」とも
    唄い、更に「マカショ」や「マカセ」を「マガショ」「マガセ」と濁る発音でも唄われるようで
    ある。

4.会津磐梯山−福島県民謡
   ・この唄の旋律の源流は、会津若松市郊外にある東山温泉一帯の陽気でリズミカルな
    盆踊り唄である。踊りは夜を徹して熱狂的に踊ることから、方言の「狂い踊」の意の
    「カンショ踊」と言われた。
   ・歌詞の第2節(本来の第4節)の「東山から日日の便り、行かざなるまい顔見せに」の
    意は、名高い東山温泉には多くの遊女がいて、毎日のように「あなたのお顔が見たい」
    と声がかかるので「行かざなるまい 顔見せに」と唄ったものである。
   ・この唄の第2節に有名な囃し文句「小原庄助さん なんで身上潰した・・・」があるが、
    その小原庄助が架空の人物か実在かについては諸説あって、現在なお定かでは
    ない。

5.大島節−東京都民謡
   ・椿の花が咲き、黒潮が岸を洗う伊豆大島の代表的な唄。明治の初年ころ、大島では
    茶の栽培を始めた。土地に古くから伝わっていた「よまい節」と、当時、横浜で唄われ
    ていた「お茶場節」を加味したものを、茶摘み仕事で唄った。大島が観光地になると
    花柳界でも盛んに唄われ、三味線も付いて全国的に広まった。
   ・御神火(ごじんか)とは、三原山の噴煙のこと。

6.三階節−新潟県民謡
   ・「柏崎三階節」は普通、柏崎に花柳界で唄われるお座敷唄であるこの「三階節」で
    ある。(もともとは盆踊唄「野良三階節」)
   ・柏崎では、現在でもこの唄が宴会の締め括りに唄われる。
   ・「三階」の由来については諸説があって確たるものはない。

7.串本節−和歌山県民謡
   ・このお座敷唄のルーツは「エエジャナイカ節」とか「オチャヤレ節」といわれ、
    「アラ ヨイショ・・・」の囃子言葉を「エエジャナイカ・・・」と唄っていた。
   ・紀州五十五万石の圧政に反骨した漁民が、投げやりの唄い方で
    「ええじゃないか ええじゃないか・・・」と憂さを晴らした。
   ・串本地方は風物から人情まで、南国的明るさをもっているので、屈託なく明るく
    唄うのである。

8.竹田の子守唄−京都府民謡
   ・この唄が「九州の豊後竹田(ぶんごたけだ)」という人がいるが、間違いである。
    「竹田の子守唄」の故郷は京都の伏見区竹田にあり、竹田の一部をなす被差別部落
    に生まれたおばあさんの歌を元にして楽譜が作られ、広まっていった。
   ・フォークグループ「赤い鳥」がヒットさせたこの唄、歌詞中の「在所」が意味するという
    「被差別部落」の悲惨さを告発する唄、というので、放送禁止になってしまった、という
    曰く付きの唄です。
   ・子を寝かす唄ではなく子守り娘の嘆き唄という意味では、後掲の「五木の子守唄」と
    同じだが、趣は随分と違った雰囲気です。

9.安木節−島根県民謡
   ・安木は古くは八杉と書き、江戸時代には出雲砂鉄の積み出し港として繁栄した。
   ・魚の「ドジョウすくい」の踊りで有名だが、出雲の奥地で採取する砂鉄の作業場で
    働く精選所の「土壌すくい」の動作を舞踊化したとの説がある。
   ・歌詞によって微妙に唄い方が変化し、一番さえ覚えればOKという大抵の民謡と
    違った、シロウト泣かせの唄である。

10.よさこい節−高知県民謡
   ・「よさこい」は「夜さ来い」「今夜来い」の意で、夜這いの風習からという説が有力である。
   ・五台山竹林寺という寺の坊さんが、鋳掛け屋(いかけや:銅や鉄器の穴を塞ぐ修理屋)
    の娘・お馬に恋し、堀川にかかる播磨屋橋の袂の小間物問屋で、簪(かんざし)を
    買って与えたことが評判になった。いたたまれなくなった二人は駆け落ちしたが、
    番所破り等の罪で追手に捕らえられた、というロマンスに基づく。

11.黒田節−福岡県民謡
   ・播州の武将・黒田官兵衛の子・黒田長政が筑前国福岡藩の初代藩主ということで、
    ここで「黒田武士」という名で歌われ始め、これが「黒田節」に転じた。
   ・黒田長政の家臣・母里太兵衛(後の毛利友信)が、福島正則邸を訪問した時、主君から
    言いつけ通りに酒を固辞するが、勧めた正信も「飲み干せば何でも欲しい物を褒美に
    とらす」と強いた。その結果、豊臣秀吉から正信に下賜された日本一の名槍日本号を
    飲取った。・・・という故事に基づく歌詞である。

12.五木の子守唄−熊本県民謡
   ・赤子を眠らせる唄でなく、子守自身の絶望的な嘆き唄である。
   ・五木村には近世まで、平家の落人の子孫といわれる三十三人の旦那衆(よか衆)と、
    自分の耕地を持たない農奴(名子)という厳しい身分制度があった。名子はよか衆から
    畑や農具を借りて小作し、名子の娘たちは歳ごろになると口べらしに、よか衆の
    ところへ子守の年期奉公に出された。
   ・これ以上この唄の解説の余地はないですね。

13.おてもやん−熊本県民謡
   ・別称「熊本甚句」と呼ばれるこの唄、曲態は「名古屋甚句」と姉妹関係にあり、
    熊本独自のものではないという。山口県の「男なら」、石川県の「金沢なまり」、
    山形県の「酒田甚句」などと同系統の民謡である。
   ・全編熊本弁の歌詞であるこの唄、なかなか難解である。明朗でおおらかな言葉の
    遊びを楽しむ花柳界のお座敷唄である。
   ・「おてもやん」は「おても」という健康的だがあまり美人ではない女性の名前。
   ・第一節の歌詞の大意を示す。
    『おてもさん、あなたは最近嫁入りしたそうですね。
    嫁入りしたことはしたけれど、亭主があばた面でブスだから
    まだ三々九度の杯は挙げていません。
    まあ、村の役人、世話役、仲人、あの人たちがおられるから
    あとは何とかなるでしょう。
    川端をぐるりと向こうに行ったところでは、春日名物のカボチャが、
    尻からげをして、今盛んにごろごろしています。
    空には雲雀がピーチクオパーチクとさえずり、地面にはイガイガの
    あるげんぱく茄子が生っています。』


  【参考文献】
   ・長田暁二・千藤幸蔵 編著:『日本の民謡』 東日本編
   ・長田暁二・千藤幸蔵 編著:『日本の民謡』 西日本編
   ・西舘好子 著:『うたってよ子守唄』
   ・合田道人 著:『童謡の謎』