童謡の解釈


1.ずいずいずっころばし
   ・笹倉重男編曲「日本わらべうた」における、「ずいずいずっころばし」の出だしは、
    「ずい,ずい、ずずい」ですが、これを「ずーい、ずーい・・・」と歌うべきか「ずィ、ずィ・・・」
    と歌うべきか、ということが、我が合唱団の練習で議論になりました。
   ・これを結論つけるべく、歌詞の解釈を調べました。

  【 歌 詞 】
    ずいずいずっころばし ごま味噌ずい
    茶壷に追われて 戸っぴんしゃん
    抜けたらどんどこしょ
    俵の鼠が米喰ってチュウ チュウ チュウ チュウ
    おっとさんがよんでも おっかさんがよんでも
    行きっこ無しよ 
    井戸の周りでお茶碗書いたの だあれ

  【 解 説 】
   ・ずい:サトイモの茎である「ずいき」のこと。これを乾燥させたイモガラは、保存食として
    お茶うけに使われ、ごまを和えた味噌をつけて食べると以外に美味しいらしい。
    →ごま味噌ずい
   ・茶壷:江戸時代、京都宇治で採れた新茶1年分を茶壷に納めて、江戸将軍さまに献上
    する、お茶壷道中(行列)のこと。大名行列より権威ある行列とされた。
   ・「ずい」と「茶壷」の関係:行列が通る日は、その住人に、朝4時以降は煮炊きする煙を
    出すことさえ禁止されたので、住人は前日に食事を作るか、「ずい」のような乾燥食品
    を準備しておき、行列が通過する間、これを食して凌いだ。
   ・戸っぴんしゃん:恐れおおい茶壷行列が来るというので、これから逃げるようにして
    (追われて)家に入り、戸をぴしゃりと閉める。
   ・抜けたら:行列が去ったら。
   ・どんどこしょ:騒いでも可。
   ・俵の鼠が・・・:鼠が納屋の米俵の米を食う音さえ聞こえる静寂。
   ・おっとさんが・・・:たとえ父親が呼んでも、母親が声をかけて来ても出て行っては
    いけない。そういう行列に対する恐怖。
   ・井戸の・・・:「井戸端の茶碗」、即ち、ちょっと触れただけでも井戸に落っこちてしまい
    そうな、危なっかしい様子のこと。誰かが「危なっかしいことを知らせるために、井戸の
    周りに茶碗の絵を描いておいた。

   ★以上の解釈から、「ずい」はこの話に基づく「ずいき」であり、「ずーい」ではなく「ずィ」
    でも無い、自然に喋る「ずい」である。


2.通りゃんせ
   ・童謡「通りゃんせ」の歌詞にある「行きは良い良い 帰りは恐い」という理由が
    わかりませんでしたので調べました。
   ・調べてみたら、今まで理解していたこの歌詞全体の意味が、全く違っていたことが
    わかりました。これを理解すると、多分、歌い方も変わると思います。

   【 歌 詞 】
    通りゃんせ 通りゃんせ
    ここはどこの細道じゃ
    天神様の細道じゃ
    ちいっと通して 下しゃんせ
    ご用のない者 通しゃせぬ
    この子の七つのお祝いに
    お札を納めに 参ります
    行きはよいよい 帰りはこわい
    こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ

  【 解 釈 】
   ・基本的には下記の2つの説がある。
    @埼玉県川越市/三芳野神社説・・・歌碑も立っている。
    A神奈川県小田原市/菅原神社説・・・「発祥の地」の碑がある。
   ・私は後者の菅原神社説を信じたい。
    <菅原神社説>
   ・江戸時代、箱根の関所を通って小田原国府津(こうづ)の「菅原神社」=国府津の天神
    さまに、12月25日の納め天神にお参りするお話。
   ・「細道」は天下の険である箱根の関所越えの、細くて険しい道。
   ・関所は「ご用のない者」は簡単には通れなかったが、事前にお寺で発行され、簡単に
    入手できる参詣の通行手形があれば、何のお咎めもなくパスできる。しかも納め天神
    の日なので全く問題なし。
   ・朝、元気なうちの箱根越えなので、関所も体力も問題なし。→行きはよいよい
   ・関所の開門は朝6時〜夕方4時だったので、帰りの時刻が気になって焦りが出る。
    また山の天候は崩れ易く日暮れも早いので、急な山坂を帰るのは恐怖に襲われる。
    焦りと恐怖と疲労感・・・。→帰りはこわい
   ・北海道では「疲れた」ことを「こわい」というが、箱根近辺では「えらい」といい、
    「こわい」は「硬い」を意味する。つまり足や肩が疲れで硬くなる、即ち「疲れる」ので
    ある。
   ・何故こんなにしてまで天神さまにお参りするのか?
    天神様のご神体は「学問の神」菅原道真公であるが、元々は祟り神だった。
    時の左大臣「藤原時平」の中傷によって、九州大宰府に流され、その2年後に
    無実の咎を背負ったまま59歳の生涯を閉じた。
    そのあとから時平および時平派の重鎮が、事故などで次々と若死にする。
    そしてこれが「道真の怨念」として世の中に広がった。
    さらに干ばつ、冷夏、豪雨災害、地震、台風、疫病・・・と続いた。
    ついに北野天神社が建立され、道真を神として祀られ、時の天皇は道真に
    最高位の太政大臣を追贈した。
    徐々に祟りは衰え、そして終結した。
    後に道真の肖像をご神体に、諏訪社と合わせて菅原神社が創建された。
    天神様はその後、「実りの神」「豊漁の神」となり、更に子孫繁栄の「成長の神」
    となって崇められるようになった。
   ・よきにつけ悪しきにつけ、「祟り神」の力は強大であり、お札を頂いたらしっかりと
    「お札を納めに」参らねばならなかった。

   ★以上の解釈から、この詩は通行手形を貰いに行った時の、お寺の人との対話であり、
    母親か父親か兄弟か親戚か・・・はわからない。

  【 補 足 】
   ・「わらべうた」の編曲者は、この詩を三芳野神社説の解釈で編曲しているように
    思われる。
    @城の中にあった天神様へのお参り。
    Aお参り当日の門番とのやりとりである。
    B「行きはよいよい」は、お参りの日なので簡単に通すが、
     帰りは持ち出し品が無いかなどの身体検査が厳しいので「帰りはこわい」。
    Cお参りしているのは、子供を連れた母親。
   ・しかし、この解釈には幾つかの矛盾があるが、詳しくは書けない。


3.あんたがたどこさ
    ・童謡「あんたがたどこさ」の歌詞が、どうにも理解出来ないので調べました。
    色々な「解釈説」がありましたが、私が納得し「採用」したものを掲載します。
   ・調べているうちに、この歌に限らず、童謡というものの中にはとんでもない恐ろしい
    背景を持ったものがある、ということが解りました。私たちはそれを知らずして、
    平気で楽しく歌っているんですねー。

  【 歌 詞 】
    あんたがたどこさ 肥後さ
    肥後どこさ    熊本さ
    熊本どこさ    せんばさ
    せんば山にはたぬきがおってさ
    それをりょうしが鉄砲で撃ってさ
    煮てさ 焼いてさ 食ってさ
    それを木の葉でちょっと(ちょいと)かぶせ

  【 解 釈 】
   ・江戸時代、熊本・人吉・宇土・高・富岡の5藩からなる肥後の国の人吉藩(熊本の隣)
    で起き、明治時代までひた隠しにされて来た「相良家事件」にまつわるお話。
   ・人吉には八代と人吉を結ぶ主要な交通手段として参勤交代にも使われた球磨川が
    流れ、今も昔も乗下船場=せんば(船場)である。また、四方を九州山脈(せんば山)
    に囲まれている。
   ・当時、わけあって急遽藩主についた「頼央(よりひさ)」が、改革政策で対立する家老派
    たちによって、鉄砲で暗殺された。
   ・藩ではこの死亡をひた隠しにした。鉄砲の音=暗殺という図式を、藩の内外は勿論、
    江戸に聞こえてお家取り潰しになるようなことを避けた。
    (→それを木の葉でちょっとかぶせ=隠蔽工作)
   ・煮て焼いて食った、のはこの顛末をどう処理するかの思案のさま。
   ・藩主死後1ヶ月後に「急病で死んだ」と公表された。
   ・この事件の真相は人から人へと伝わり、地名も「人吉さ」が風化し、隣の「熊本さ」に
    なって行った。
   ・当の熊本ははた迷惑なことなので、今でも熊本ではこの歌詞の「たぬきが・・・」を
    特産の「えびが・・・」と言い張っている。